令和7年4月12日 天国に召された リーダーのあなたに
伝えたかったけれども
伝えられなかった
ことばを ここに、、、。
出会い
あなたと出会ったのは2年前の4月でした。
異動してくる前、すでに癌を患っていることを聞かされていました。
初めて逢った印象は、茶髪のウィッグをつけて、肌ももちもち、
色白のきれいな肌をして、凛とした印象でした。
キャリアウーマンさながらのピリッとした印象で、
🐵「苦手なタイプかも、、、、。」
と強烈に私をびびらせるくらいの迫力がありました。
そして、最初のチーム会議で私の上司であるあなたが私達部下に言ったことが
👱「私がいなくてもチームが回るようにする!」
👱「私が何も言わなくても、各自で考えて行動できるチームにしていきたい」
との言葉でした。
正直、私はチームをまとめるべきリーダーであるあなたが
🐵「一体何をいっているのだろうか?」
と思いました。
正直、宇宙人くらいのイメージでした。
🐵「サブリーダーである私に、統括せよということなのだろうか?」
{????}
そんな強烈な言葉のスローガンをもと、私達のチームは動きだしました。
それは2年前。
私を 子を 見守ってくれてありがとうございました
人に馴染むまで時間がかかる私は、あなたに心を開くのに1年半もの時間を要しました。
その間、私の子どもは小学校に行き渋りを始め、私も適応障害に陥りました。
急に行方をくらまし、
🐵「1ヶ月間 休みます。今日から。 飛行機に乗って里に帰ってきます。」
と言った私。
ろくな説明もない私に対し、
👱「しっかり子どもと話し合うんだよ。 子どもはあなたのことをいつも見ているからね。
あなたが不安になれば、子どもはもっと不安になるからね。
ゆっくり休んでおいで」
と、温かい言葉をかけてくれました。
彼女自身も、彼女の子が家出をして約一ヶ月家に帰らないときがあったようです。
また、もうひとりの子も高校を中退し、家に引きこもっていた経験があったことから、
子育ての大変さが骨身にしみてわかるとのことです。
あのとき、私たち親子を思いやって時間を与えてくれたことにとても感謝しています。
結局1週間休んで、何もかわらないやと思い、また職場に復帰しましたが、
その後も子どもは母親の私と離れることにとてつもない恐怖を感じ、
学校から呼び出されることが多々ありました。
早退し、学校へ子どもを迎えることなど何ヶ月も続きました。
それでも、私達親子をしっかり見守ってくれていたこと
心から感謝しています。
👱「どうして、相談してくれなかったの?1ヶ月休むといったのになぜすぐに戻ってきたの?」
と言われましたが、
ごめんなさい。
その時の私は、人に相談できるような精神状態ではなかったこと、
そして、そもそも、あなたにそこまでこころを開いていなかったのです。
とはいえ、あなたや周りの人に守られながら、子どもは徐々にだいぶん心を落ち着かせ、
私自身も心がだいぶん平常に近づいてきました。
いつか、休日出勤した日、私とつきそいで職場にきた私の子。
私の子に、進捗管理のボード作成をさせ、
バイト代をくれていました。
子どもはとても喜んでいました。
ありがとうございました。
そうこうするうちに1年があっという間にすぎてしまいました。

革命家として
あなたは、仕事に対してとにかく、点数を取ることにこだわっていました。
私は正直思っていました。
🐵「成績をあげると、もっと大変な部署に行かされ、給料は安いままもっと大変な仕事をさせられるんだよな」
と。
うちの会社は、ブラックよりな企業です。
仕事のできる人は、アルバイトであろうと正規職員なみの仕事をさせ、こき使う。
正規職員ですら、できる人に仕事をどんどんさせ、
薄給なのにもかかわらず、仕事と責任をふっかけてきます。
だからこそ、仕事は普通にやるとしても、
あんまり目立ちたくないのです。
そんなのが、私達チームは暗黙の了解となっていました。
成績も、まぁ中くらいの位置にいれば問題ないと思っていました。
どんなにがんばっても失敗することだってあるのですから。
しかし、あなたはずっとこう言ってくれました。
👱「部下が正当に評価されないのが悔しい!!」
部下はあんまり思っていませんでした。
目立つともっと大変な部署に異動させられ、
こき使うことが目にみえているからです。
が、それでもあなたは、点数にこだわること
イージーミスは無くすこと など私達に徹底させました。
チェックシートを自らつくり、何をすればより点数に結びつくのか。
点数を取るために、何を気をつければよいのかを叩き込みました。
評価されることを、望まない私達ですらも、点数を取ることを意識するようになりました。
気が強い者同士、私とあなたが衝突することもありました。
あなたのいうことを素直にきかない私にあなたが頭を悩ませたことも一度や二度ではないはずです。
今更ですが、そんな私を受け止めてくれてありがとうございました。
とはいえ、喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもので、
時間はかかりましたが、徐々に信頼しあえる中になってきたと私は思っています。
そして、せっかち同士馬があったことも否めないでしょう。

あなたは、仕事がとても とても 大好きで、
熱を出してもちょっとさがればすぐに出勤してきていましたよね。
体調がどんなに悪くとも、体が動く限りは働いていましたよね。
普通の人なら休むところ、とんでもない気力をもって出勤されていましたよね?
なぜそこまで仕事をしていたかったのでしょうか?
そんなにこの仕事がすきだったんでしょうか?
👱「私は この会社をもっとよくしようと思って 役職になったんよ」
「この仕事は 何よりもやりがいがある。楽しい。好き。
ただ、給与がね、、、、、。」
そう あなたが話していたのを覚えています。
正直、こんなに仕事熱心な人を見たことがありません。
家にいると、自分の未来・症状に対する不安が押し寄せるとも話していました。
人といることで気を紛らわしていたところもあったのかもしれません。
それでも、病と戦いながら、人一倍、精いっぱい働いている姿を
誰もが 心に刻んだことでしょう。
そんなのモットーは
「思い立ったらすぐ行動」
だったと思います。
とにかく、じっとしていない。
テプラとラミネート、自前で購入した100円ショップの数々のアイテムで
職場を快適なものに変えていきました。
あなたがつくってくれた、オリジナリティ豊かな様々なアイテムとグッズが
今も私達の部署のいたるところに残されています。
事前準備を確認でくるホワイトボード、
急ぎの届書がわかるクリアファイル、
お客様へ利用いただく記載ファイル、
間違いを防ぐチェックシート
草取り用のカマ などなど。
今よりも少しでも良くなるために、何をするべきかということに
誰よりも力を入れていたと思います。
思い立ったら、立ち上がって足や手が動いている状態です。
そして、周りの意見をしっかり聞いてくれました。
私達が息苦しくないよう、手綱を引きながらも自由にのびのびとさせてくれました。
あなたの部下は、個性色豊かな面々ばかりです。
陽キャ・陰キャにかかわらず、静かにキャラが濃いのです。
そんな有象無象なチームをあなただからうまく導いてくれたのだと思います。
そして、ドジでぼーっとした私たちが今後もしっかり業務を行っていけるように道しるべを作ってくれました。
失敗をしても、注意するのではなく
「なぜその失敗が起きたのか。
今後その過ちを繰り返さないために何をすべきか。」
という前向きな姿勢を向けてくれました。
失敗=叱責される
ということもなく、失敗や間違いは、前に進むためのステップとして私達を導いてくれました。
強烈なキャラで、ハキハキと指示をだす。
あまり迷わない。
そんなあなたは、多くの人から愛されていました。

第二の母として
料理が上手なあなたは、私達に時々おいしい料理でもてなしてくれました。
食事をあまりとらない人に、サンドイッチを差し入れしたり、
栄養満点のおにぎりを作ってくれたり。
そして、炊き出しさながらの大きな鍋を持ってきて
ぜんざい、大学芋、スープなどを持ってきてくれました。
いずれも美味しさのあまり、いつも完売御礼でした。
手料理以外にも、お取り寄せスイーツが届きます。
秋頃になると高級品のスイーツを配布してくれましたよね。
高級品と知らず、勢いよく一口で食べた私はとても後悔したことを覚えています。
もっと、味わって食べればよかったのに、、、。
飛騨高山の老舗栗きんとん。
また秋になるとあなたを思い出しながら、食べたいと思うのでしょう。
とにかく、みんなの健康を心配してくれました。
窓口職員もあなた同様、無理してでも働く面々がそろっています。
咳き込みながら、発熱しながらでも出勤するのです。
しかし、そこはしっかりと帰し、体の大切さをとくとくと説明していましたよね。
私達チームにとっては、心優しく見守ってくれる母のようでありました。
家族思いのあなた
あなたの娘(長女)は、お父さん(当時の夫)と馬が合わず、当時高価だった液晶テレビをぶっ壊して家でしたのよね。
行く宛もなく、たまたま家出の子をサポートする人に出会い、一ヶ月後に帰ってきたよ。
その間、どれほど心配したか想像に絶するあまりです。
あなたの娘(次女)は、高校にいけなくなり退職。そのまま、引きこもりとなったが、離島にいるあなたの妹(教師)のところに行かたこと。
そこで体が不自由な生徒が、まわりの生徒にどんなにいじめをうけても毎日通学している姿を見て、
「私は一体なにをやっているんだ」と思い、もう一度頑張り始めたこと。
👱「私人を見る目はあるんだよね」
とアルバイトの採用のときに言っていました。しかし
👱「でも、男を見る目がなかった」
夫はギャンブラーで1円も家にお金を入れず、暴力をふるうとんでもない人、その夫の両親・親族からもだいぶんいじめにあったことを聞きました。
いろいろあって離婚し、働きに行くことにしたと。
いろいろあって大変だったとは思いますが、変な旦那さんを選んでくれたことで、わたしたちとの出会えたので結果オーライだったといえばそうでしょう。
ただ、あなたが採用した中年の男性アルバイトはやはりだめーずです。
それ以外の人は優秀すぎるくらい優秀なのですが、、、、。
やはり男を見る目がないのか、そういうだめーずな男をほっとけない性分なのかもしれないと思うに至った今日このごろです。
そして、何よりも誇りに思っていたのが、あなたのお母様のことです。
市役所の福祉関係に勤務し、トップまで上り詰めた人で、
通称「赤いブルドーザー」と呼ばれていたこと。
仕事の鬼で、すごい人だったと、よくいろんな話をしてくれました。
女性の社会進出がおぼつかない中でトップまで上り詰めるのですから、さぞすごい人だったのでしょう。
血は争えませんね。
静かにあなたを蝕む 病
朝早起き。
畑に行ってから出勤してきた。
👱3時4時に起きて畑に行ってきたから眠くない
とか、なんとかふいとか。
誰よりも今を生きることに元気モリモリでした。
しかし、体は徐々に蝕んでいっていたのでしょう。
あなたに出会って1年がたった4月。
面談のときに、
👱「年内(12月)までもてば良いほうかな。」
とあなたは言っていました。
こんな健康優良児にしかみえず、誰よりも元気モリモリなあなたの命があと幾ばくしかないなんて誰が思うでしょう。
そして、サブリーダーである私に
👱「もう無理だと思ったら、すぐ辞めるから心配しないで」
と言いました。
いやいや。 普通に心配しますよ。
そして、あなたがいなくなる世界なんてもはや想像がつきませんから。
夏ごろになると脊髄に癌が転移し、腰の痛みが酷くなっていました。
痛みにより、独歩が難しい状況となってきました。
痛みどめを服用しながら、杖を片手にそれでも毎日出勤していましたよね。
夏にそのケアを行うため、放射線治療を受けていたような気がします。
それでも、休むことはありません。
3時まで仕事をし、その後病院へ通って治療を受ける日々。
なぜ、そんなに仕事をするのだろうか。
ゆっくり休んだほうが、体力の回復には良いのではないだろうかと皆が思っていました。
それでも、会社大好き人間のあなたは無理してでも出勤します。
あなたが会社にいてくれるだけで、とても安心感を得るわたしとしてはありがたいことこの上なかったのですが、
少しずつ弱くなっていくあなたが どんなに気丈にしていてもやはり
大丈夫だろうかという不安がありました。
12月に癌のペット検診を受けていましたよね。
その時、
👱「癌が転移している。思った以上に広がっている。
特に肝臓は機能していない。」
といっていました。
ドクターストップがかかっているにもかかわらず、
痛み止めを飲みながら働き続け、
年明けの1月を迎える。
その薬の量も、今までとは違います。
もう、痛み止めも以前の量では効かないと。
ただ、明確な治療方法はないから、緩和ケアてきに痛みを和らげていくことしかできないと言っていました。
すごい量の薬を飲む日々が始まっていました。
ご飯も喉を通らないと、お昼時間はあまり食べていませんでした。
ただおでこに両手をあげ、うつむきながら仮眠を取っていました。
薬が強いかったのでしょう。
時折、ボーっとしていることもありました。

今まで、上司にプレゼントするなんてことを良しとしない私が、
2月下旬にスタバのコーヒーをあげたとき、とても喜んでいました。
大したものでもないのに。
私は、確かにあなたから受け取った愛情や音をほとんど返していなかった事に気づきました。
私ってひどい部下だったかもしれない
とその時に私は自分がとても傲慢だったと
とてもあなたに甘えていたのだと痛感しました。
上司といえど、1人の人間です。
なにかもらったら嬉しいに決まっている
そんな簡単なこともすっかり忘れていました。
2月 あなたは光熱を出し、少しの間休みました。
インフルエンザでもコロナでも 風邪でもありません。
肝臓が悲鳴を上げたことによる発熱。
体が限界を訴えてのことによる発熱でした。
それでも、熱が下がれば出勤します。
正直 なんと声をかけてよいかわかりませんでした。
無理しないでください
休んでください
どんな言葉をかけても、あなたは働き続けることがわかっています。
気丈に振る舞って、、、、。
2月終わりに職場近くの駐車場空いてないかなとあなたは言いました。
今まで、あなたは、あなたの姉妹の家に車を停め、そこから自転車で通勤していました。
しかし、自転車に乗ることも難しい状況であること、
ほんの数百メートルを歩くのもしんどいと言っていました。
私は夫と相談し、私が借りていた会社そばの駐車場を譲りました。
そのかわりに、あなたの電動自転車を購入しました。
この電動自転車を乗ってほしいと
👱「新品同様、ほとんど乗っていない、カバーもあるいろいろ備品つきで10万円で
お買い得」
と私に猛プッシュ(笑)
買いました。
そのときあなたは、
👱「この自転車を自分が乗り潰すつもりで、去年の11月に買ったんだけどね。
ほとんど乗ることができなかったな。」
と呟いていました。
そうだったんですね。病があなたを蝕んでいることなんてこと本当にわからなかったですよ。
3月に入り、
少しずつ顔に黄疸が出始めました。
真っ白だった肌が少しずつ黄色の色を帯び始め、
お腹に腹水がたまりはじめ、
客観的に症状が悪くなっていることがみてとれました。
そんな中、来年度の5月の県外出張の予定が入ります。
👱「私は飛行機に乗るのが体力的にしんどいから、代わりに行ってきて」
と言われました。
お腹をさすりながら、痛い腰をかばいながら歩くあなた。
お客様が来て、出る人がいなければ、そんな状況でも窓口に出ていたあなた。
私はいったい何をしていたのでしょうか。
そして、
👱「私も 4月かもって5月ごろまでかな。」
とポツリ。
👱「私の親戚に 肝臓を患った人がいて、その人が黄疸が出始めて
(命が)もって2ヶ月くらいだったから。
そう考えると私もあと2ヶ月くらいかな」
そう淡々と自分の余命を語っていたあなた。
暗くも明るくもなく、何気ないおしゃべりのひとつの話
かのように話すあなた。
どんな気持ちだったのでしょうか。
気の利いた返事をした覚えがありません。
しかし、余命を悟るほど体が弱ってきていることを
あなた自身は悟っていたのでしょうか?

3月19日 最後の出勤日。
明日から子どもがいる福岡へ行って、緩和ケアを受ける、
こどもたちに会えるととても楽しみにしていました。
飛行機に乗るのはしんどいようでしたが、子どもに逢って少しでも気持ちが元気になれたらと思っていました。
しかし、飛行機があなたの体にとても負担だったようです。
体調すぐれず、到着後すぐに病院へ搬送、即日入院となりました。
それでも、なんとか帰って来られました。
3月23日(日)
あなたからメッセージが入ります。
👱「週末に私の体調が悪化してしまい、椅子に座るのも、難しい状態となっています。
月曜日に仕事の分担等考えるたかったのですが、ちょと無理みたいです。
午前中に所長とも面談をお願いする予定ですので、訪問しますが、長くは居られないかな。
10時過ぎに少しみんなと話できたらと思っていますが、明日の体調次第かな。
迷惑をおかけしますが、宜しくお願いします。」
3月24日(月)
みんなへの差し入れ片手に、顔出しに。
しばらく所長と話をされていました。
その後私達も集まりました。
その時、あなたは涙していました。
あなたが泣いている姿を 初めてみました。
言葉になりませんでした。
どんなに体調がきつくても 苦しくても
気分が悪くても 体が動く限り
気丈としていたあなたが
私たちに見せた 初めての弱さ。
その時に思いました。
もしかしたら、あなたの未来は明るいものではないのかもしれないと。
その後の話では、今から病院に入院しに行くこと、
今後のケア方法については未定であり、復帰できるかわからないこと。
でも、体調が良くなればまた顔出しに来たいといっていたこと。
そんなことを話しました。
でも、正直 私は あなたが消えてしまわないでほしいと
いう気持ちと、自分が何もしてあげられない無力さで
その時の記憶があまりはっきりとしていません。
その後、あなたが入院し、
業務のやり取りで何度かメッセージをやり取りしました。
それでも、あなたが体調を回復させ
ふらっと顔をだすだろうと信じていました。
いや、そう思わないとやりきれなかったのかもしれません。

4月7日(月)
朝一番に所長から招集がかかりました。
4月5日(土)にあなたに面談に行ったところ、
あなたの状態が非常に良くないと。
本人は何も言わないけれども、もって1ヶ月くらいだと思うこと。
チームメンバーに会いたがっているから、
早急に面会に行ける人は行くようにと。
その日から、数日にわたり面談に行くことが決まりました。
夕方、仕事を終えてあなたにみんなと一緒に会いに行きました。
起き上がることが難しく、顔色もすぐれません。
パジャマのそばから見える腕はびっくりするくらい細く、
力がないようでした。
あなたに会えた嬉しさ、つもる話(とはいえ他愛もない職場の様子や状況)をし、
気づけば長居しました。
具合が悪いにも関わらず、わたしたちに冷蔵庫にある飲み物を飲むようにと
しきりに進めます。
どこまでも、温かい人なのでしょうか。
しかし、病院側から指導が入りました。
一度の面接時間や人数等々。
あなたの娘さんからも、面会を歓迎しながらもあなたの体が限界であることを聞きました。
ご迷惑をおかけしました 最後まで。
でも、あなたと最後にたくさん話せたこと 後悔はしていません。
これは私のわがままでしょう。
ご家族の方からすれば、あなたの体に負担をかけて、、、、、
と思うところもたくさんあったでしょう。
それでも、面会に行った日が
あなたと最後の日になったのです。
だから、心置きなく話せて 良かったと思います。
4月10日(木)
水曜日までにあなたのチームメンバー全員が面会終了しました。
水曜日、チームメンバーであなたあてに写真をとって額縁にいれ持っていきました。
そのとき、あなたは「ありがとう」と言いながら涙していたことを聞きました。
あなたは、みんなに愛されているんです。
私達に必要な人です。
戻ってきてください。
4月11日(金)
OGの先輩が昼下がりに面会したとき、もうひとりでは立ち上がれない状況となっており、
面会もままならなず、軽く挨拶して帰ったとのことを後から聞きました。
そのOGの先輩が最後の来訪者。
年齢が一番近く、去年の1年間、二人は仲よくおしゃべりしていました。
その人の来訪を待っていたかのように。
4月12日(土)
夜明け前
天国へ。
なぜ この若さで あなたが 旅だ立たなければならなかったのでしょう?
あなたより もっと嫌なやつも 悪いやつも たくさんいるのに。
なぜ あなたが召されなければならなかったのでしょう?
人を大切にして 思いやって 守ってくれる
そんなあなたが なぜ こんなにも苦しい思いをしなければならなかったのでしょう?

後から思うこと
あなたがいつも身につけていた、この土地の模様の洋服で
あなたの母や叔母が作ってくれたもの、あるいは着ていたものでした。
大切な家族が作ってくれた洋服、着ていた服に包まれて
どんな思い出身につけていたのでしょうか?
最後の方は、自分がどういう人だったのか、自分の家族がどんな人なのかよく話してくれました。
まるで、自分がいることを、あなたの家族を覚えていてほしいという願いだったのかと思うほど。
あなたがいなくなって、資料がどこにあるのかすべてその格納先の場所が記されています。
本当に「私がいなくなっても困らないように」とのあなたの思いやりがあちらこちらに散りばめられています。
しかし、それが私の胸をとても締め付けました。
いなくなることがわかりながら、どんな思いで、その道標を残していったのだろうか
と思うと、、、。
あなたの残した小さなメッセージが散りばっています。
こんなに長期間保管する必要もない、来訪者の件数表や予約者の一覧、会議資料その他諸々。
あなたが2年前に、ここに異動してきたときからの全ての資料が残されています。
1枚1枚、少しずつかさばって行くことで、
「私もここで生きていたんだよ」
そんなメッセージにも受け取れるものもの。
それらが、逆に私達に
あなたがいないことの現実をつきつけてきます。
時々あなたのことを思い出して、色々と後悔が募ります。
もっと優しい言葉をかければよかった。
特に成績についてです。
例年360くらいある事務所の中から、200番代、中間か中の下あたりに位置する私達チーム。
下期あと0.1点取れていたら、あなたに天下をプレゼントすることができたのに、
あなたがいなくなるとわかっていたら、もっともっと頑張ったのに。
私がやってしまった失敗やミスを思い出しては、
なんとも言えない気持ちに駆られます。
あなたは、面談のときにベットに横たわって、
「よく頑張った」と言ってくれました。
でも手からすり抜け落ちたあの0.1が悔しくて仕方がありません。
2年前に点数を微塵も気にしない私をここまで変え、
トップを争えるくらいまで導いてくれた、
あなたのその力は十分に発揮されたといえばそうでしょう。
しかし、やはり悔いが残っています。
あと少しのところで掴みそこねた天下トップの幻想が
あなたへの罪悪感が
私をあなたへの記憶へと縛り付けていきます。
あなたがいつも気丈にしていたから、
鈍感な私は普通通りにしていました。
いや、認めたくなかったのかもしれない。
病気が悪くなっていること、
本当にこの世界から消えてしまうことを。
だからこそ、態度を変えないことで
あなたの体調に見ぬふりをして
自分を守っていたのでしょう。
まだ、大丈夫。
まだいてくれる。
そんな、私の幼稚な態度はあなたを傷つけ、
苦しめたのではないかと
今もふと思い出しては
申し訳なさでいっぱいになります。
もっとやさしいことばをかけてあげたかった。
もっと気を使ってあげればよかった。
もっと もっと、、、、、。
自分の言動をこんなにくやむことになるとは。

あなたが天国へ旅立って、もうすぐ49日を迎えようとしています。
それでも、まだ心の整理がつきません。
お通夜でも会いました。
まるで、今にも目を覚まして仕事をしそうな顔で
ただ眠っているかのように。
葬儀でも手を合わせました。
私達の写真を飾ってくれていましたよ。
最後にもう一度あなたの顔をみれると思っていましたが、
それは叶いませんでした。
たからでしょうか。
あなたがどこかにいるのではないか、
ふらっと、差し入れ持ってきたよって
私達の大好きなお菓子を持ってきてくれるような気がしてならないのです。
あなたが最後まで乗り潰すつもりでいたオリーブ色の電動自転車は我が家で活躍中です。
大切に乗ります。
自転車の鍵についていたマース入の貝殻のキーホルダーは、
私の常時持ち歩くカバンに入っています。
あなたのそばに少しでもいれるように。
まだ、私はあなたの大きな愛に甘えていたのでしょう。
私たちは、今あなたがいない中で、チーム一丸となって必死にやっています。
あなたがいなくなった寂しさを紛らわせるかのように日々、誰かがお菓子を持ってきています。
お菓子で寂しさを埋めて、あなたの不在をごまかしています。
早起き&早く出勤するあなたが今はいません。
私が早く出勤しても、あなたの姿はどこにもありません。
朝早く、今後のチームの方針や現状の問題点など仕事の話や
家族のどうでも良い話 私の愚痴
あなたの過去の話
漫画の話 アニメの話
たくさんの話をしていたんだと
今になって思います。
そして、 1人すごす朝の時間がとても長く
感じます。
あなたの机は あなたが居なくなったときのまま
そのままの姿を残しています。
お菓子だけは賞味期限があるので、みんなで食べています。
あなたが愛用したミニ扇風機も
あなたが使用していた高級除菌ジェルも
あなたがつくった印鑑も
あなたがよく利用していたスタンプも
ほとんどがあなたが居たときのままです。
いつか あなたの後に配属される人がくるまで
その時まで その姿を変えるつもりはありません。
あなたが 少しでも 私達のそばにいた証として。
あなたが最後に眠りについたときの病室の名前は
白百合
あなた自身も 私にぴったりの花と言っていました。
本当にそうですね。
あなたが 私の子どもに「本好きの下剋上」の小説をぜひ読ませてほしいと言っていました。
今、読ませたら漢字が難しいことも全て読むのは難しいようです。
でも必ず、将来子どもと一緒に私も読みます。
あなたの大好きだった本の世界へ。

あなたの思いを心に刻み、
あなたの分も私のできるかぎり
今の仕事を大切にしていきたいと思います。
最後に、私の好きな曲をあなたに送ります。
どうか こころできいてください。
そして 私のことばが天国にいるあなたに
届けばいいのに。
Dr. stone 『the Plan』
Have you ever imagined a life
That is better than now?
Do you believe the life exits
Somewhere you’ve never been?
We travelled on the same train
No one knows where it goes
Some get off along the way
Life is made in an instant
What we choose is what we are
If only we met a different time
We wouldn’t have been here
How I wish I can hold you
Like you’re my best friend
But it’s meant to be
No, I can’t change the way
Until we meet again
We follow through with the plan
No one knows how it goes
Still, I trust our hearts will be together
Though we are enemies
Cause my soul remembers you
If only we met a different time
We wouldn’t have been here
How I wish I can hold you
Like you’re my best friend
But it’s meant tobe
No, Ican’t change the way
Until we meet again
Again
google 翻訳より
今よりも良い人生を想像したことがありますか?
人生はあなたがまだ行ったことのない場所に
存在すると信じますか?
僕たちは同じ列車に乗った
どこへ行くのか誰も知らない
途中で降りる人もいる
人生は一瞬で作られる
僕たちが選ぶものが、僕たちそのもの
もし違う時に出会っていたら
僕たちはここにいなかっただろう
君を抱きしめられたらどんなにいいだろう
まるで親友のように
でも運命なんだ
いや、道は変えられない
また会う日まで
僕たちは計画を実行する
どうなるか誰にもわからない
それでも、心は一つだと信じている
たとえ敵同士でも
僕の魂は君を覚えているから
もし違う時に出会っていたら
僕たちはここにいなかっただろう
君を抱きしめられたらどんなにいいだろう
まるで親友のように
でも運命なんだ
いや、道は変えられない
また会う日まで
また
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