自分は、きっと歴史の中にも名を残すような人にはなれない。
有名人にもなれない。
多くの人に、認められるような人にもなれない。
私は、名も無い 小さな存在。
「何のためにいきるのか」
その解は、今もわからない。
もう40歳を過ぎてしまえば、私も若くは到底ないのでしょう。
小学生の頃は、高校生・大学生はすごく大人に見えた。
大学生の頃は、社会人であることだけでも大人に思えた。
自分で稼いだお金で、自由にできる、好きなところへ行ける、好きなものを食べれる。
なんて素晴らしいいんだと思っていた。
社会人になりたての頃は、30歳の先輩が大先輩に思え、
40歳の先輩などはベテラン,50歳は雲の上。
そう思っていた。
でも実際は違った。
40歳を過ぎても、いつまでも大学時代とはそんなに変わった気はしない。
仕事の上でのスキルはあるかもしれない。
だからといって、心がすごく強くなったわけでもない。
人に知識を教えることはできても、
生き方や生きるための価値観を教えるほどの人になってはいない。
ましてや、今となっても生きる意味さえわからない。
出世レースなど興味もなく、人と比較されることは大っきらいだが、
でも、人との比較の中でしか自分の存在価値を認められない自分もいる。
そんな自分に時々嫌気をさす。
ただ、だんだんと親戚の人が亡くなっていき、
職場の先輩が40代、50代で大病をし、
最悪、天に召される。
そんなことが、身の回りで起きてくると、
大好きだった私の祖父(享年90歳)がいっていた言葉を想い出す。
じいちゃん、一番がいっぱいだよ
小学4年生で県外の養子に出され、冷遇され小学校しかいかせてもらえない幼少期を過ごし
第二次世界大戦で、東南アジアの前線に送り込まれ
戦後は結核で3年間病院施設に入院し、常に死と隣り合わせの日を過ごした。
それでも結核から奇跡的に回復したあと、
家族や会社の人、俳句仲間大切にされ、
まさに、昭和といえばじいちゃんと思うような
家族を、人を大切にし、義理人情を尽くす人だった。
そんなじいちゃんがいっていたことが
最近、少しずつわかってきた気がする。
私は ちっぽけで、きっと家族や少しの友人はいなくなれば悲しむかもしれない。
けれども、テレビのニュース速報になることは絶対にない。
無名でちっぽけな自分が、時おり悲しくなることも確かにある。
世間でもてはやされる「成功者」にはなれる気もない。
私の存在価値って???
だけど、年を取るとだんだと考えるのに疲れてきたのか、
自分のできることの限界が見えてくるのかわからないが、
生きる意味なんて別に求める必要そのものがないのかも?
って思えてきた。
健康で、家族や仲間と楽しい時間を過ごし、
自分の好きなことをめいっぱいやって
じいちゃんが死ぬ少し前に言っていたことば
「人生に悔いはない」
そう思いながら、最後の時を迎えられれば、それで良いような気がする。
そんなことを考えていたら、
back numberの『水平線』という曲の歌詞がとても心に染みた。
『水平線』back number
出来るだけ嘘は無いように
どんな時も優しくあれるように
人が痛みを感じた時には
自分の事のように思えるように
正しさを 別の正しさで
失くす悲しみにも 出会うけれど
水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら
いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう
自分の背中は 見えないのだから
恥ずかしがらず人に 尋ねるといい
心は誰にも見えないのだから
見えるものよりも大事にするといい
毎日が重なる事で
会えなくなる人も出来るけれど
透き通るほど淡い夜に
あなたの夢がひとつ叶って
歓声と拍手の中に
誰かの悲鳴が隠れている
耐える理由を探しながら
いくつも答えを抱えながら 悩んで
あなたは自分を知るでしょう
誰の心に残る事も
目に焼き付く事もない今日も
雑音と足音の奥で
私はここだと叫んでいる
水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら
いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう
あなたはそれを見るでしょう
提供元: Musixmatch
私が最近感じることが、ぎゅっと凝縮されたような歌詞で
心に染み入りました。
時々自分の存在を確かめたくなるけれど、それでも、今目の前にいる私の大切だと思う人を大切にして、誰かが私がいることで少しでも幸せに感じて、楽しい時間をたくさん過ごすことができれば、それが何よりかもしれないと思う今日このごろです。
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