戦争体験者のはなし

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平和学習で聞いたはなし

私は、昨日小学校で戦争体験者の話を聞きました。

今から、聞いた内容についてお話します。

その人は、今年で90歳だそうで、戦争の話をされました。

それではいきましょう☺️

戦争体験者のはなし

その人は、父さん母さん、兄さん姉さん弟と本人で暮らしていたそうで10歳に戦争を体験しています。

戦争が始まってお兄ちゃんは、兵隊として戦場にいって亡くなられてしまいました。

そして残りの姉ちゃんと本人と弟は、上の人からの命令で船に乗ってどこかに行くことになったそうです。

本人はどこかに行くということで、とても楽しみにしていたそうです。

ですが、父さん母さんと離れる寂しさは残ります☹️

船に乗っていってる途中、船がアメリカの攻撃により追撃されてしまいました。

ドゴーンという大きな音が聞こえ、船がやがて沈み始めました🌊

みんな必死にものを掴んで離そうとしませんでしたが、

結局、船は全部沈んでしまいました。

ですが、その人は運良く兵隊さんと残り10人位残ってるいかだに引き上げられました。

その人は、兵隊さんに

「姉ちゃんと弟は?」

と聞きましたが、兵隊は黙って首を横にふりました。

夜はとても寒くて歯がガチガチしました。

そして朝にはどこかについたそうで、そこには父さんと母さんがいました。

家族で、国頭村(田舎の山の中)に行けば、森があるだろうから、そこに逃げようとということになりました。

そして、昼はアメリカ兵に見つかるかもしれないから、

昼はどこかに穴をほってばれないようにして寝て、

夜に国頭村に向かって歩いていきました。

昼に寝たとはいえ夜なのでとても眠くて、

よくお父さんに「おい、起きろ」と起こされたそうです。

これは本人のお父さんがよく言っていた口癖ですが、

「もし歩いている途中に迷子になったら川が近くにあるから、

それに沿って下に降りていきなさい。

そしたら、そこには海が広がっているから、必ず人がいるだろう。」

といっていたのだそうです。

道に迷わないように、木に目印をつけながら歩き、

お父さんとお母さんと本人がはぐれないよう、体にロープを巻き付けて歩いていたそうです。

ようやく国頭村につきました。

なんと、

170kmも歩いたそうです。

何日もかけて歩き、ついた頃にはもう足が棒になっていました。

しかし、自分たちの身を守るため、必死に山のなかの地面を掘り、

そこで2ヶ月位、隠れ屋を作って過ごしていたそうで、

食べ物は、ねずみや、カエルを食べていたのだそう。

今ではとても考えられないことです。

しかし、その当時は食べるものがなくカエルやねずみはごちそうで、

とても美味しく感じるくらいだったということです。

お水は、地面の雨水🌧️をすくって飲んでいたそうです。

そこで2ヶ月くらいくらしていると、

ある日、薪割りをしていたところアメリカ兵がやってきて、ここにいるのだとばれてしまいました。

戦争当時、アメリカ兵に捕まえられたら殺されると教えられていたので、

本人は、「殺される」

と思ってガクブルしていたら、

アメリカ兵が「お前の父ちゃん母ちゃんを呼んでこい」と言われたのだそうで、すぐに呼んできました。

家族みんな殺されると思ったそうです。

そしたら

「戦争はもう終わった」

と告げられ、そこでアメリカ兵と自分たちでパーティーをして色々なお菓子や食べ物をくれました。

そこで当時の沖縄では、コーヒーというものはなかったので、アメリカ兵がそれを差し出してきたとき、毒を飲まされて殺されると思ったそうです。

父さん母さんはとてもびっくりしたのだそうです。

でも意外と飲んでみると美味しかったみたいです。

そこで戦争がもう終わり、幸せに暮らしてきました。

これが、戦争体験者から聞いたお話です。

その人は、

「戦争は どちらも 負けだ。

 勝ったからって、勝った人が全員幸せになるわけではいし、

 負けた人も、もちろん不幸。

 戦争は始めた時点で、全員負け。」

と言っていました。

戦争体験者のはなしを聞いて

私が聞いた感想は、絶対に戦争はしてはならないと思いました。

拳ではなく、手を広げて、いつまでも平和が続いてほしいと思っています。

この人は、今でも小学校の前で、交通安全の旗振りを90歳ながらやってくれています。

私はこの人を心から尊敬します。

今日は、見ていただきありがとうございました。

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